むちゃくちゃな?意見かな。

子どもの最貧国・日本 (光文社新書)

子どもの最貧国・日本 (光文社新書)

いま、この貧困問題の本を読んでます。

完全な躁状態で観念奔逸(いろいろな考えがめまぐるしく浮かんで収拾付かなくなる状態)で苦しんでるときに、こんなブログの記事書いてた。

貧困ビジネスの専門家。僕みたいな貧乏を利用する人たちを、非難する、そのために、勉強してる。で、結果を本にする。買うのはだれか?貧困を自分のことに感じる人。貧困に、怯える人。でも、その本を買って、確実にちょっとだけ、貧困に近づいた。ちょっとだけ、じゃ無いかも、その本を読んだ時間は?時間はpricelessっていう。それを奪って、代わりに恐怖を与えた。貧困にすごく近づいた。(貧困ビジネスを批判する)=(貧困ビジネスをやっている)。でも本人たちは意識してない。してたら?僕は逃げる。

僕は、貧乏だし、お金も稼げない。だから、お金にあこがれるけど、憎む自分もいる。

たとえば、思う、本にせず、無料でネットに公開してください、って。

でも、商売は成り立たない、って答えるかもしれない。

本も同時に、出版すればいいのでは?と思う。

うれないじゃないか、って誰かが言うかも。

でも、売れるとかもと僕は思う。



ちょっと考えてみてください、って思うんです。

本当に、その文章に、内容に、魅力があったら、売れるのでは?って僕は言いたい。

たとえば、著作権がきれた作品、青空文庫?とかいうところで、公開してる。

夏目漱石さんとか?名前はどうでも良い?概念が伝わりさえすれば。名前はまだ無い?そもそも、(名前)=(雑学)。そう思った?違ったりもする。かも?

以前の話でします。

(つづく)。

5月28日の日記だから入院する10日くらい前でしょうか。かなりおかしくなってきてる時のもの。

まあ図書館で借りた本なのでただだからいいのですけど。

(つづく)ってどう続けるつもりだったんでしょうね。

青空文庫で無料で読める本でも魅力的な小説は売れるんだから(「人間失格」とか」)、ネットでも公開して欲しい、とかなんとか書くつもりだったのかも。

5月下旬の日記は読んでて面白い。6月はもう完全に錯乱状態になっててわけがわかんなくなってる。

自分がうつ病から躁うつ病になっていく過程が残せてよかったのかも。

ただ、特定の人の名前は出してませんが、かなり批判してる。